2013年03月27日

実は80年代は今とは全く異なったポップでフラットな作風の絵を描いていました。
例えばそこに紫の色面をおきたかったら、皿で紫の色を作り平筆で均一に塗る、まるで平面構成のような手法の絵を描いていました。
それが、今みたいに何層にも色を重ねるようなスタイルに変わったのにはあるきっかけがありました。
それが、どんなきっかけか?と、いうと。
 ある日、テレビを見ていたらどこか地方の特産品についての番組をやっていて紅花の説明をしていたんです。
「紅花はサラダ油の原料であり、また喪服を染める際にも使われます」と、ここで、ああッと疑問が生じた訳です。だって、サラダ油は分かるけど、喪服は黒なのになんで紅が??
 しかし、ここからがなかなか奥が深い話で、、、、、
まづ白い布を紅花の赤色素で下染めし、その上に黒染料を何層も重ね染めをする事によって深く品のある漆黒を表現すると言うんですね。
 なるほど、黒に染めたきゃ一度黒い染料で染めて終わりにすれば良いものを、何層にも重ねて深みを出して行くという。
 この喪服の着色法に感化されて、もう一度古典絵画の彩色方法を勉強してみたらこれが奥が深い。
いわゆる現代のポップな絵のように白い画面に塗り絵をして終わりというのではなくて、昔の絵は不透明、半透明、透明の絵の具をうまく使い分けて何層にも重ねて深みを出している。
また、これは絵の話だけに留まらずプラスティックのお椀と漆塗りの椀のように工芸の世界なんかでも同じような事が言える。
まあ、その頃からいわゆる近代以降の美術っていうものにどんどん興味が無くなって行ったんですが、、、。

 そんなわけで黒い絵は黒い絵の具を淡々と塗っていれば良いのではなく、様々な色を重ね漆黒を深めて行きます。
ビッグドライバーイラスト.jpg 
例えば、この絵の場合まづ最初に白い画面に鉛筆でデッサンをかなりかちっと描きます。
その上に土性の赤茶色が被り、テンペラで描きおこし、その上からラズールという極めて透明度の高いウルトラマリン、マゼンダ、アンバー、ディープグリーンなどを何層にも重ね黒を深めて行きます。
それは、多分、青や赤や緑のガラスが重なりあって、黒いガラスになるような感じをイメージして頂くと良いかと思います。
ビッグドライバー2.jpg
さて、これにて、「星も無く、深い闇」完結。
ビッグドライバー3.jpg
「ビッグ・ドライバー」来月の初旬の発売をお待ち下さい。
















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2013年02月27日

シャッター・マウンテン

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2006年に他界された北林一光さんの三冊目の小説が出版されます。
松本清張賞の候補となり2007年に単行本として出版された「ファントム・ピークス」が文庫化となった一昨年あたりからブレイクしました。
その後二冊目の「サイレント・ブラッド」が文庫として出版されこの二冊で終わりかなと思っていたのですが、
今回友人達に遺品のワープロのハードディスクから救出され復元されたのがこの「シャッター・マウンテン」。
北アルプス漆沢渓谷が地滑りや虫や鳥の大量発生などに襲われるという氏の得意とするパニック小説です。
シャッターマウンテン入稿.jpg
カバー絵は過去に近くの炭坑に住んでいたという朝鮮人少女の幽霊と大量発生した蝶達の乱舞をパノラミックに展開したもの。普段描いているカバー絵がギターを弾きながらの一発勝負の録音とすれば、これは録音した生音をサンプリング、リミックスして作り上げたような絵になっています。
著者にお見せ出来ないのが残念ですが、「みたこともないようなすごい本になった」と、ご遺族が涙されていましたと手紙を頂き一安心しました。
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2012年12月21日

1922 - Full Dark, No Stars

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年明けにキングの新作中編集「1922」が売り出されます。
キングの小説ではよく街の歴史を振り返るような描写がありますが、
1922年という過去のある特定の年を舞台に書かれる事はあまりないのではと思い。
これは今の話ではなく、あくまでも90年も前の話ですよ!
という事を強調するため物置から出て来た古い写真のような感じにしようと、今回はモノクロの絵にしました。モノクロの絵ってカラーの絵に比べて色彩の事を考えなくて良い分、楽ではないかなどと考えがちですが、むしろ色に頼らず白からボトムの真っ黒までの諧調を丁寧に表現しないともたないのでけっこう骨が折れる作業でもあります。
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 最初イメージしたのはウォーカー・エバンスの様なノスタルジックなモノクロ写真だったのですが、キングが後書きでMichael Lesyという作家の書いた『WISCONSIN DEATH TRIP』という本に収録された写真にインスパイアされたとのことをしり
それらの写真を眺めているうちにこの1973年にアメリ カで出版されたというマイケル・レシイの『ウィスコンシン死の旅(デスト リップ)』の内容にも興味が湧いてきました。
 まづこれらの一連の写真は1890年から1910年にかけてチャールズ・ヴァ ン・シャイクが中西部の田舎町で撮った3万枚以上もの銀板写 真を,レシ イがウィスコンシン州立歴史協会から発見し,セレクションしプリントしたもののようです。
 そして、この二十年がどんな時代であったのか自分は全く知らなかったのですが、とにかく厳しい景気後退 と経済不況にさらされアメリカ全体が「アメリカン・ナーヴ ァスネス」という陰鬱な「病気」にかかっていたような時代であったようです。
 この「アメリカン・ナーヴ ァスネス」という邪悪な「病気」は地域を麻痺 させ破壊したばかりではなく,自然の法則をも逆さにしてしまい老人よ りも妊婦のなかのまだ見ぬ胎児に死をふきかけ,親より子を早死にさせたり、生まれてまもない赤子を親に殺させていった。
 つまり、時代が子供 たちを生きのびらせないだろうと予測し,それなら早く自らの手で殺してしまったほうが良いのではないか?というようなムードが蔓延していた時代だったのだようです。
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 ま、そんなわけで新年に相応しくどっと暗い(笑)「1922 - Full Dark, No Stars」 「星も無く真っ暗-1922年」をしばしお待ち下さい!

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2012年12月17日

新装版「返事はいらない」

返事はいらない.jpg
宮部さんの小説の登場人物というと、摸倣犯に出て来るそば屋一家とか、寂しい狩人に出て来る古本屋のように、およそ一攫千金なんていう言葉とはほど遠い地道で地に足が着いた謙虚で慎ましやかな人生を送る人々を思い浮かべるのですが、今回の新装版「返事はいらない」のカバー絵は六つの短編の中の「ドルシネアへようこそ」と「うらぎらないで」からイメージを膨らませ、それとは逆の「実でなく虚」の世界を生きる人物を描きました。。六本木のようないわゆる生活を感じさせない土地の夜景を背景に、地方から出て来て雑誌やマスコミなどが作り上げたイメージのTOKYOの中を泳いでいる若い女性。薄っぺらで見てくれの良い仕事について、着飾ってお金をもらうこと(稼ぐのではなく、もらう)と美味しいものを食べる事、そしてその全てを保証してくれるようなイイ男をつかまえる事しか考えてないような娘。
 またこの虚栄の町で生きる若い女はあの火車の原型でもあるようです。
しかし、あたりまえの暮らしがある地図上の東京を生きている若き日の宮部さんが、シロガネーゼみたいなメディアが作り出した華やかな幻想のTOKYOを生きる同世代の女をみている視線がなんとも興味深い。
登場する若い女性が八十万のロレックスをしていたり、競馬で五十万円すったなんて話は現代のユノクロで育ったような若い世代が読んだら冗談としか思えないだろう、、、、
しかし、二十数年前はそんなクレイジーな世界が実際にあった。
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そんな意味でも新装版で本屋さんに並ぶこの機会に若い世代にも手に取ってもらえたら幸いです。
デザインは新潮社 装幀部の 児玉裕子さん。
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只今2013年に読みたい新潮文庫フェア開催中です。
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2012年12月10日

潜伏者

失踪者、沈黙者、等、折原一さんの○○者シリーズの最新作が発売となりました。
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夜の児童公園でブランコを漕ぐ少女は一体何を意味するのでしょう?
五転六転する物語展開をどこか暗示している。
なんて、言えばそれらしく聞こえますが、実は自分が子供の頃から何度ともなく見る夢にこんなシーン出て来るのです。自分が子供でブランコを漕いでいて、この状態で鎖を握っている両手を離してしまう。
すると、体はぐらっと後ろに落ちそうになり、次の瞬間に布団(時に炬燵を)蹴り上げたところで目が覚める。
毎回このパターンで、時にお店なんかの入り口にある鉄板が雨で濡れていて滑って後ろに体がのけ反るなんていうバージョンも混じります。何故かいつも前でなく後ろに転ぶのですが(笑)
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こんな夢を見るのは多分自分だけなのでしょうが、ぐらっと不安定な要素が、文字、帯などすべてが垂直水平で成り立っている表一画面に変化を付ける意味でもやはり今回はこんな構図かなと考えたのでした。
デザインは文春デザイン室の永井翔さん。物語のキーともなる赤を全体に散りばめた素敵な装幀。
ずっしりとした重量感でお値段は1850円。是非本屋さんで手に取って見て下さい。
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2012年06月29日

英雄の書

 商品のパッケージは個性的でかつ斬新な方が良いかもしれない。しかし、ワインが飲みたくて近所の酒屋で買って来たものが封を開けてみたら中身がビールだったなんていうのはまづい、、、。
 ワインはワインらしい佇まいという範囲内で個性を競わないといけない。
 同様に小説のカバーもハードボイルドはそれらしく、ミステリはミステリらしくというお決まりはやはり外せない。
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さて、今回の「英雄の書」は「火車」みたいなミステリではないし、「弧宿の人」みたいな江戸ものとも違う。「これはファンタジー小説ですよ!」という事が本屋の平台の前に立ったお客様に伝わらなくてはならない。
そんなわけで、最初は異界というかワンダーランドに少女が飛んでいるようなファンタジー全開の絵柄を考えた。しかし、新潮文庫の宮部みゆきというイメージから一気に飛躍しすぎるのも問題だから、今までの路線を残しつつファンタジー感をという注文が、、、。
「では、ファンタジーって現実の世界から異界へと入って行くお話なわけだから、上巻を現実。下巻を異界。みたいな、、、」と、いう話に展開するわけだけど、でも、なんかそれも予定調和か?って事で画面の中に対角線的に本棚を置き、東西を分断するベルリンの壁の如く現実と異界を描くという構図になった。
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ミステリーのように物語の舞台が新宿だったり下町のような現実のものだったら、おおよその読者は文字をおいながら頭の中に像を描く事が出来る。しかし、ファンタジーの場合はこの世に無いものが描かれる事もある訳だから、ある程度その辺をカバー画で説明する必要もあるかと思う。「あっ、これが無名の地の咎の大輪か」とか
小説を読みながら楽しんで頂けたらと思う。
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けっこうしつこい絵に派手目な帯。家で見るとちょっとtalk too much?という気もするが、、、。
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こうして店頭に積まれたところを見ると、まあ、これも景気づけって事でアリか?(笑)なんて気もしないでもない。


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2012年06月27日

淋しい狩人

宮部みゆきさんの連作短編集「淋しい狩人」新装版のイラストレーション。
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まず、お題はと言えば、「何処の町にでもありそうな雑居ビルの一階にある古本屋。店主の老人。そして店を手伝っている孫の高校生」
昭和初期の精神病院でもなく、明治のレトロホテルでもなく、ごくありふれた現代の古本屋を描かねばならないのだが、こういうお題はけっこう難易度が高い。例えばパリとかプラハなんかに旅行して、なにげに撮った写真でも雑誌のカットに使えそうなお洒落なものに仕上がったりするのに、その辺の商店街を絵にするのってけっこう難しいのと同じで、何処にもありそうな平凡な風景をなんとか鑑賞にあたいするものにするにはそれなりの工夫がいる。
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作中に登場する下町のたなべ書店は現存するもので、実はこんな外観なのだが、ちょっと横長で画面に収まりづらい。そこで実際近所の古本屋を何件か廻って写真を撮って参考にしながら、アングルやライティングを考えた。
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いろいろ考えたあげく、夕暮れの灯りを灯した時間帯。迎え側のビルから見下ろしたようなアングルに決めた。
「ちょっと雨が降りそうだから表のワゴンに積んだ本を店内に入れようか、」というような演出です。
同時に発売された「英雄の書」上下巻がなんか店頭で派手な展開になってる様ですが、こちらも渋いハートウォーミングなおはなし。忘れないようヨロシクお願いしますね。




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2012年06月25日

大幽霊烏賊

同じウイスキーでも炭酸水で割って軽くシュワーっと飲むのが適しているものもあれば、ちゃんとしたグラスで球体の氷なんかを浮かばせて飲んでみたいようなものもある。
と、同様に、我々が目にする文字情報もiphoneやipadの画面でさっと読んで済ましたいものもあれば、本という紙の固まりで読みたいものもある。つまみ食い的な情報は後に紙が残らない方が良いし、逆に手元に本という形で残したいものもある。「ライトなものはよりライトに、逆に重厚な容器で提供したいものは、百円、二百円のコストは気にせず丁寧なつくりで読者に届けよう」ここ二年くらいiphoneやipadが普及してからの出版界の傾向といえるかもしれない。
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 さて、乱歩賞作家首藤瓜於氏の新刊のご紹介を。昭和初期の精神科病院で繰り広げられる事件の数々。その幻想的な世界を木立の庭から眺めた夜の病棟を描いた風景で表現してみた。カバーのそで表一から背、表四のそでまでぐるっとで包んでみた。
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割と小さめも文字がびっしりと575ページ。ずしっと重い作りで定価は2000円です。









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2011年12月16日

おばんざい

京料理というとビジュアル的にも美しく繊細で手間のかかったものを想像する人が多いかもしれない、
でも、それは料亭とか特別の場所で出す懐石料理の話で普段の家庭料理といえば気取りの無いおばんざい(お番菜)だ。番傘、番茶というように番とは普段のという意味(ちなみに、「おばんどす」は今晩はの意味だけど)。
 また、おばんざいの中でも煮物のことを「たいたん」と言う。炊いたん。炊いたもの。という事なのだが、近頃雑誌などで良く目にする「ほっこり系」といえばおばんざいがニュアンス的にぴったりのような気がする。
 先斗町にあるおばんざいと抹茶や和風スイートを出すお店で、「たいたん適当に見つくろって」と言ったら
こんなんが出て来た。
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菜の花、茄子、おじゃこと万願寺とうがらし、さば。
おばんざい2.jpg
湯葉とかぼちゃのたいたん。
 実は大のおばんざいファンで家にもレシピが何冊かあって自分でも作るし、外でも食べたいのだが東京では今ひとつ普及していない。健康にも良さそうだし、やればきっとうけると思うんだけど。
昆布と鰹節でだし汁さえ作っておけば、あとは野菜を切って醤油や酒で味付けして適当に煮込めばたいたんの出来上がりなのだから、、、、。
しかし、このお店なんで居酒屋とスイーツが同居しているのか?と尋ねたら、、。
居酒屋だけだと、高齢化社会の憩いの場になってしまい、なんにも注文せず何時間もいる人が結構いるそうだ、
そんな時にガイドブックをもった若い女子が入って来るとガラリとみせの空気が変わり、席を空けてくれるのだそう。
どんな、商いにも悩みは付きものなのだ。
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ところで、話は変わるがここで飲んだ日本酒がかなり美味かったので尋ねたら、こんな見かけないラベルのお酒が出て来た。
店主の話によるとカリスマ的な杜氏が仕込んだお酒なんだと、、、。
杜氏ってサッカーに例えたら監督と言えば良いのか?
チームが蔵元で、選手が蔵人。
同じチームで同じ選手なのに、新しい監督が来たらガラっと変わったって事があるように、
同じ酒造で同じ米で作っても杜氏が変わると全然違うものが出来るらしい。
杜氏.2.jpg
さて、そのカリスマ的杜氏がこの人青木卓夫さん。
なるほど「渋い!」って叫びたくなるような方ですね。
杜氏.3.jpg
蔵の前での蔵人との写真もなんかドラマのスチールのよう、、、。(笑)

というわけで京都のご報告これにて終了。付き合ってくれておおきに。
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ほな、風邪引かんよう湯豆腐でも食べてあったまってや、ほっこりな。
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2011年12月15日

賀茂川

 両親が健在だった頃は五月の連休には必ず静岡に帰省した。しらすと桜海老の新鮮な季節で、とりわけ生しらすは東京ではなかなかありつけないしろもので、生しらすをいただく時はなぜかサントリーの角壜の水割りをのんだ。
 普段ウイスキーの水割を飲む事は全くないのだが、ある時静岡の事を思い出して東京でも水割を飲んでみた。しかし、これが全然美味しくない。何故か静岡の時と違う。
 しばし考えたが、答えは簡単だった。
つまり水割りというものは三割くらいがお酒で七割くらいは水と氷なのだ。お酒は同じなんだけど東京と静岡では水が違うという事なのだ。
子供の頃はあれが日常なので気がつかなかったけど、故郷は水が旨いのだ。
近年磯自慢を始めとする人気の日本酒があの辺りで作られているが、あれは大井川の豊かな水があっての事とどこかで読んだ。
 考えてみれば、我々が口にするものの殆ど、ご飯もお茶とかコーヒーも、煮物にしても水無しでは始まらない。 水の善し悪しでかなりの部分が決定してしまうのだ。
近年そんなテーマで作られた映画に「マザーウォーター」って映画があった。京都を舞台に豆腐屋とか喫茶店
水割りしか出さないバーとか銭湯なんかが登場する地味な映画だが、生活の基盤に水があるという事を控えめに主張していた。
 
さて、何故その映画の事を思い出したかというと、上賀茂神社から賀茂川に出て四条方面に向かって川原を歩き出した時、どっかで見た風景に出くわした。
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そうか、ここがあの映画のロケ地だったんだ。
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先斗町の辺りの鴨川は何度も見た事はあるが、この辺は建物も控えめで川原の木々が水面に写ってほんときれいだ。
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川幅も広く開放感があってここでジョギングしている京都市民も、思う存分走り回れる犬もほんと幸せそうだ。
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この辺なんかiPodでBGM用意して散歩したらほんまセーヌ川でっせ。
川は土手をコンクリートで塗り固めたら川でなく側溝になる。東京の目黒川なんかもコンクリをはがして元の姿に戻してやれば人も魚も川も喜ぶだろう。
遠い記憶の中の東京は、六十年代の初頭の三軒茶屋の親戚の家の付近の景色だ。
今のキャロットタワーの近くのなんだけど、家の前に北沢の小川が流れていて小さな橋を渡って玄関に入った。
それがいつの間にか生活排水で汚れてドブになり、蓋がされ暗渠となった。小川がコンクリートの棺桶に入れられたのだ。もはや東京はバブルの塔や不格好なテレビ塔を建てても魅力的な町になる事はありえない。
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韓国のソウルで高速道路を壊して、50年ぶりに河川を復活させた話は有名だが。
21世紀は後ろに向かって進む時代なのだ。
「上京する」という言葉の意味が「東京に行く事でなく、京都に行く事」に、いつかそんな日が来るような気がする。
posted by 新策論 at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする