2012年12月17日

新装版「返事はいらない」

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宮部さんの小説の登場人物というと、摸倣犯に出て来るそば屋一家とか、寂しい狩人に出て来る古本屋のように、およそ一攫千金なんていう言葉とはほど遠い地道で地に足が着いた謙虚で慎ましやかな人生を送る人々を思い浮かべるのですが、今回の新装版「返事はいらない」のカバー絵は六つの短編の中の「ドルシネアへようこそ」と「うらぎらないで」からイメージを膨らませ、それとは逆の「実でなく虚」の世界を生きる人物を描きました。。六本木のようないわゆる生活を感じさせない土地の夜景を背景に、地方から出て来て雑誌やマスコミなどが作り上げたイメージのTOKYOの中を泳いでいる若い女性。薄っぺらで見てくれの良い仕事について、着飾ってお金をもらうこと(稼ぐのではなく、もらう)と美味しいものを食べる事、そしてその全てを保証してくれるようなイイ男をつかまえる事しか考えてないような娘。
 またこの虚栄の町で生きる若い女はあの火車の原型でもあるようです。
しかし、あたりまえの暮らしがある地図上の東京を生きている若き日の宮部さんが、シロガネーゼみたいなメディアが作り出した華やかな幻想のTOKYOを生きる同世代の女をみている視線がなんとも興味深い。
登場する若い女性が八十万のロレックスをしていたり、競馬で五十万円すったなんて話は現代のユノクロで育ったような若い世代が読んだら冗談としか思えないだろう、、、、
しかし、二十数年前はそんなクレイジーな世界が実際にあった。
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そんな意味でも新装版で本屋さんに並ぶこの機会に若い世代にも手に取ってもらえたら幸いです。
デザインは新潮社 装幀部の 児玉裕子さん。
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只今2013年に読みたい新潮文庫フェア開催中です。
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2012年12月10日

潜伏者

失踪者、沈黙者、等、折原一さんの○○者シリーズの最新作が発売となりました。
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夜の児童公園でブランコを漕ぐ少女は一体何を意味するのでしょう?
五転六転する物語展開をどこか暗示している。
なんて、言えばそれらしく聞こえますが、実は自分が子供の頃から何度ともなく見る夢にこんなシーン出て来るのです。自分が子供でブランコを漕いでいて、この状態で鎖を握っている両手を離してしまう。
すると、体はぐらっと後ろに落ちそうになり、次の瞬間に布団(時に炬燵を)蹴り上げたところで目が覚める。
毎回このパターンで、時にお店なんかの入り口にある鉄板が雨で濡れていて滑って後ろに体がのけ反るなんていうバージョンも混じります。何故かいつも前でなく後ろに転ぶのですが(笑)
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こんな夢を見るのは多分自分だけなのでしょうが、ぐらっと不安定な要素が、文字、帯などすべてが垂直水平で成り立っている表一画面に変化を付ける意味でもやはり今回はこんな構図かなと考えたのでした。
デザインは文春デザイン室の永井翔さん。物語のキーともなる赤を全体に散りばめた素敵な装幀。
ずっしりとした重量感でお値段は1850円。是非本屋さんで手に取って見て下さい。
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2012年06月29日

英雄の書

 商品のパッケージは個性的でかつ斬新な方が良いかもしれない。しかし、ワインが飲みたくて近所の酒屋で買って来たものが封を開けてみたら中身がビールだったなんていうのはまづい、、、。
 ワインはワインらしい佇まいという範囲内で個性を競わないといけない。
 同様に小説のカバーもハードボイルドはそれらしく、ミステリはミステリらしくというお決まりはやはり外せない。
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さて、今回の「英雄の書」は「火車」みたいなミステリではないし、「弧宿の人」みたいな江戸ものとも違う。「これはファンタジー小説ですよ!」という事が本屋の平台の前に立ったお客様に伝わらなくてはならない。
そんなわけで、最初は異界というかワンダーランドに少女が飛んでいるようなファンタジー全開の絵柄を考えた。しかし、新潮文庫の宮部みゆきというイメージから一気に飛躍しすぎるのも問題だから、今までの路線を残しつつファンタジー感をという注文が、、、。
「では、ファンタジーって現実の世界から異界へと入って行くお話なわけだから、上巻を現実。下巻を異界。みたいな、、、」と、いう話に展開するわけだけど、でも、なんかそれも予定調和か?って事で画面の中に対角線的に本棚を置き、東西を分断するベルリンの壁の如く現実と異界を描くという構図になった。
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ミステリーのように物語の舞台が新宿だったり下町のような現実のものだったら、おおよその読者は文字をおいながら頭の中に像を描く事が出来る。しかし、ファンタジーの場合はこの世に無いものが描かれる事もある訳だから、ある程度その辺をカバー画で説明する必要もあるかと思う。「あっ、これが無名の地の咎の大輪か」とか
小説を読みながら楽しんで頂けたらと思う。
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けっこうしつこい絵に派手目な帯。家で見るとちょっとtalk too much?という気もするが、、、。
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こうして店頭に積まれたところを見ると、まあ、これも景気づけって事でアリか?(笑)なんて気もしないでもない。


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2012年06月27日

淋しい狩人

宮部みゆきさんの連作短編集「淋しい狩人」新装版のイラストレーション。
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まず、お題はと言えば、「何処の町にでもありそうな雑居ビルの一階にある古本屋。店主の老人。そして店を手伝っている孫の高校生」
昭和初期の精神病院でもなく、明治のレトロホテルでもなく、ごくありふれた現代の古本屋を描かねばならないのだが、こういうお題はけっこう難易度が高い。例えばパリとかプラハなんかに旅行して、なにげに撮った写真でも雑誌のカットに使えそうなお洒落なものに仕上がったりするのに、その辺の商店街を絵にするのってけっこう難しいのと同じで、何処にもありそうな平凡な風景をなんとか鑑賞にあたいするものにするにはそれなりの工夫がいる。
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作中に登場する下町のたなべ書店は現存するもので、実はこんな外観なのだが、ちょっと横長で画面に収まりづらい。そこで実際近所の古本屋を何件か廻って写真を撮って参考にしながら、アングルやライティングを考えた。
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いろいろ考えたあげく、夕暮れの灯りを灯した時間帯。迎え側のビルから見下ろしたようなアングルに決めた。
「ちょっと雨が降りそうだから表のワゴンに積んだ本を店内に入れようか、」というような演出です。
同時に発売された「英雄の書」上下巻がなんか店頭で派手な展開になってる様ですが、こちらも渋いハートウォーミングなおはなし。忘れないようヨロシクお願いしますね。




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2012年06月25日

大幽霊烏賊

同じウイスキーでも炭酸水で割って軽くシュワーっと飲むのが適しているものもあれば、ちゃんとしたグラスで球体の氷なんかを浮かばせて飲んでみたいようなものもある。
と、同様に、我々が目にする文字情報もiphoneやipadの画面でさっと読んで済ましたいものもあれば、本という紙の固まりで読みたいものもある。つまみ食い的な情報は後に紙が残らない方が良いし、逆に手元に本という形で残したいものもある。「ライトなものはよりライトに、逆に重厚な容器で提供したいものは、百円、二百円のコストは気にせず丁寧なつくりで読者に届けよう」ここ二年くらいiphoneやipadが普及してからの出版界の傾向といえるかもしれない。
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 さて、乱歩賞作家首藤瓜於氏の新刊のご紹介を。昭和初期の精神科病院で繰り広げられる事件の数々。その幻想的な世界を木立の庭から眺めた夜の病棟を描いた風景で表現してみた。カバーのそで表一から背、表四のそでまでぐるっとで包んでみた。
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割と小さめも文字がびっしりと575ページ。ずしっと重い作りで定価は2000円です。









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2011年12月16日

おばんざい

京料理というとビジュアル的にも美しく繊細で手間のかかったものを想像する人が多いかもしれない、
でも、それは料亭とか特別の場所で出す懐石料理の話で普段の家庭料理といえば気取りの無いおばんざい(お番菜)だ。番傘、番茶というように番とは普段のという意味(ちなみに、「おばんどす」は今晩はの意味だけど)。
 また、おばんざいの中でも煮物のことを「たいたん」と言う。炊いたん。炊いたもの。という事なのだが、近頃雑誌などで良く目にする「ほっこり系」といえばおばんざいがニュアンス的にぴったりのような気がする。
 先斗町にあるおばんざいと抹茶や和風スイートを出すお店で、「たいたん適当に見つくろって」と言ったら
こんなんが出て来た。
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菜の花、茄子、おじゃこと万願寺とうがらし、さば。
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湯葉とかぼちゃのたいたん。
 実は大のおばんざいファンで家にもレシピが何冊かあって自分でも作るし、外でも食べたいのだが東京では今ひとつ普及していない。健康にも良さそうだし、やればきっとうけると思うんだけど。
昆布と鰹節でだし汁さえ作っておけば、あとは野菜を切って醤油や酒で味付けして適当に煮込めばたいたんの出来上がりなのだから、、、、。
しかし、このお店なんで居酒屋とスイーツが同居しているのか?と尋ねたら、、。
居酒屋だけだと、高齢化社会の憩いの場になってしまい、なんにも注文せず何時間もいる人が結構いるそうだ、
そんな時にガイドブックをもった若い女子が入って来るとガラリとみせの空気が変わり、席を空けてくれるのだそう。
どんな、商いにも悩みは付きものなのだ。
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ところで、話は変わるがここで飲んだ日本酒がかなり美味かったので尋ねたら、こんな見かけないラベルのお酒が出て来た。
店主の話によるとカリスマ的な杜氏が仕込んだお酒なんだと、、、。
杜氏ってサッカーに例えたら監督と言えば良いのか?
チームが蔵元で、選手が蔵人。
同じチームで同じ選手なのに、新しい監督が来たらガラっと変わったって事があるように、
同じ酒造で同じ米で作っても杜氏が変わると全然違うものが出来るらしい。
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さて、そのカリスマ的杜氏がこの人青木卓夫さん。
なるほど「渋い!」って叫びたくなるような方ですね。
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蔵の前での蔵人との写真もなんかドラマのスチールのよう、、、。(笑)

というわけで京都のご報告これにて終了。付き合ってくれておおきに。
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ほな、風邪引かんよう湯豆腐でも食べてあったまってや、ほっこりな。
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2011年12月15日

賀茂川

 両親が健在だった頃は五月の連休には必ず静岡に帰省した。しらすと桜海老の新鮮な季節で、とりわけ生しらすは東京ではなかなかありつけないしろもので、生しらすをいただく時はなぜかサントリーの角壜の水割りをのんだ。
 普段ウイスキーの水割を飲む事は全くないのだが、ある時静岡の事を思い出して東京でも水割を飲んでみた。しかし、これが全然美味しくない。何故か静岡の時と違う。
 しばし考えたが、答えは簡単だった。
つまり水割りというものは三割くらいがお酒で七割くらいは水と氷なのだ。お酒は同じなんだけど東京と静岡では水が違うという事なのだ。
子供の頃はあれが日常なので気がつかなかったけど、故郷は水が旨いのだ。
近年磯自慢を始めとする人気の日本酒があの辺りで作られているが、あれは大井川の豊かな水があっての事とどこかで読んだ。
 考えてみれば、我々が口にするものの殆ど、ご飯もお茶とかコーヒーも、煮物にしても水無しでは始まらない。 水の善し悪しでかなりの部分が決定してしまうのだ。
近年そんなテーマで作られた映画に「マザーウォーター」って映画があった。京都を舞台に豆腐屋とか喫茶店
水割りしか出さないバーとか銭湯なんかが登場する地味な映画だが、生活の基盤に水があるという事を控えめに主張していた。
 
さて、何故その映画の事を思い出したかというと、上賀茂神社から賀茂川に出て四条方面に向かって川原を歩き出した時、どっかで見た風景に出くわした。
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そうか、ここがあの映画のロケ地だったんだ。
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先斗町の辺りの鴨川は何度も見た事はあるが、この辺は建物も控えめで川原の木々が水面に写ってほんときれいだ。
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川幅も広く開放感があってここでジョギングしている京都市民も、思う存分走り回れる犬もほんと幸せそうだ。
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この辺なんかiPodでBGM用意して散歩したらほんまセーヌ川でっせ。
川は土手をコンクリートで塗り固めたら川でなく側溝になる。東京の目黒川なんかもコンクリをはがして元の姿に戻してやれば人も魚も川も喜ぶだろう。
遠い記憶の中の東京は、六十年代の初頭の三軒茶屋の親戚の家の付近の景色だ。
今のキャロットタワーの近くのなんだけど、家の前に北沢の小川が流れていて小さな橋を渡って玄関に入った。
それがいつの間にか生活排水で汚れてドブになり、蓋がされ暗渠となった。小川がコンクリートの棺桶に入れられたのだ。もはや東京はバブルの塔や不格好なテレビ塔を建てても魅力的な町になる事はありえない。
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韓国のソウルで高速道路を壊して、50年ぶりに河川を復活させた話は有名だが。
21世紀は後ろに向かって進む時代なのだ。
「上京する」という言葉の意味が「東京に行く事でなく、京都に行く事」に、いつかそんな日が来るような気がする。
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2011年12月14日

社家町

地価というのは需給関係によって決まる。簡単にいうと人気のある土地は値段が上がり、そうでない場所は下落する。だからその時々の人が何を望むかで地価は変動する。人々が便利を優先すれば駅やコンビニに近い事が価値をもつが、しかし、少し歩いたほうが健康に良いのではという風潮になれば駅近はさほど価値が無くなるかもしれない。
 さて、今までの日本人といえば、利便性ばかりが重要視され急行が止まるとか駅に近いとかにこだわり、その場所が美しいとか風情があるなんて事はあまり地価に反影されなかったような気がする。
というか日常の語彙の中に「情緒」とか「風情」なんて言葉が存在しなかったといってもさしつかえないかもしれない。
豊かさの尺度がいつもFullでMoreな状態。最新の家電とか食べ物に囲まれていさえすればしあわせという。
ただ、そんな日本人のマインドにも少なからずも変化が訪れているような気がする。
近頃よく耳にする「断捨利」とか「ダイエット」なんていう言葉には「腹一杯」より多少なりとも「美」を優先しようという意思が感じられる。Moreも良いけどLessも良い。足し算も良いけど引き算も良いというふうに変化しつつあるかもしれない。
 これはもしかしてBigとかJumboを良しとするアメリカの影響が薄れて、かつての日本人の中にあった清潔で簡素な美を取り戻したいという願望のあらわれかもしれない、、、。
なんて事を考えたのは上賀茂神社に向かうタクシーの道すがら、やけに新しい家やマンションが目立ったので運転手さんに尋ねたところ、「1割が今までいた人達で9割が新しく移り住んで来た人達ですゥ」という答えが返ってきたからだ。
つまり多くの若いファミリー層がこの土地に引き寄せられているというのだ。理由は「地下鉄にのれば町中へのアクセスも良く町中より空気がきれい」という事らしいのだが、社家町(しゃけまち)と言って神社に使える人達が住んだ社家が点在する上賀茂神社付近はとりわけ不思議な懐かしさと美しさに包まれている。
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神社から流れ出るきれいな水が
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家々の前を流れ、人々は橋を渡って家の玄関に至る。
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流れがカーブした所に立つ大きな楠が風景に変化を与えている。
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ススキと雑草に覆われた橋の家、どうやら廃屋ではなく詫びた野趣の演出のようだ。
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良い感じにエイジングが施されたサーモンピンク(シャケ色)の壁。
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家々の軒先にも魅力的な細部が、、。
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とにかく水の流れる音を聴きながら歩いているだけでしあわせな気持ちに浸れる不思議な魅力をもった
町なのだ。





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2011年12月13日

大原

さて、四条から地下鉄に乗り国際会館前で下車。そこから20分程タクシーに乗ると大原。三千院の入り口脇の温泉宿へ。
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旅館の庭に初雪がちらほら、、、。
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荷物を置いてお茶を飲んでから三千院へ。
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谷崎は四十代の後半に京都に移ってあのエッセイ「陰影礼賛」を書いた。
西日が障子スクリーンに映し出す木の影が墨絵の様。
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紅葉シーズンも終わり団体客もいないので西日が沈んで行く様をのんびりと眺める事が出来る。
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苔の庭。
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配された石のパターン。
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終わりかけた紅葉。
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水の流れるBGMも心地よくじっと佇んでいても飽きる事はない。


「David Bowie Moss Garden」ふと昔聴いた曲を思い出す。
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2011年12月12日

京都+温泉

ヨーロッパや京都のような町はただ歩いているだけで楽しい。でも宿に帰って歩き疲れた身体を温泉でリフレッシュ。などという願望は叶えられる事はない。一方、日本の温泉町は温泉自体は素晴しくても、一旦宿を出ると寂れたスナックとか射的などひたすら廃虚化一歩手前の風景に出くわし、いそいそと退散する事しばしば、、、。
 さて、「京都+温泉」という理想のパターンはないものかと、試しにパソコンを叩いてみたらこれがあった。
京都の町中から山の方へ行った所。嵐山とか大原の辺りに幾つか温泉が点在してた。やはり「京都+温泉」という希望は多いのだろう。ここ何年かで幾つかの旅館が共同出資して地面を掘ったのだそうだ。温泉としての歴史も知名度も浅い訳だから温泉自体に過度の期待は出来ない。でも、温泉は素晴しいが御飯がまづい、付近が廃虚というパターンよりは絶対良い。
 てなわけで、先週末いきなり京都に行って来た。井の頭線を渋谷で山の手線に乗り換え品川でのぞみに乗れば後はうたたねをしている内に着いてしまう。ほんと早いのだ。朝八時に出れば午前中の内に京都。
さて、京都駅から地下鉄に乗ったがどっかでランチっていう事で大丸の近くで降りる。
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェラ薬局の支店がやってるカフェへ。いきなり行ったので一時間待ちと言われた。薬局の方に荷物をあづかってもらって近くの錦市場をぶらぶら。
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漬け物。おでんだね。味噌。生麩。包丁や鍋。などなど。食材や雑貨を眺めているだけで全然飽きる事はない。
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こんな風に試食用の食材が所狭しと並べられて「食べなはれ」と勧められる。気をつけないとこれだけでご飯前にお腹一杯になりそう。

さて、サンタ・マリア・ノヴェラ薬局の京野菜を使った軽めのイタリアンのランチ。
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かぶのポタージュ。
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京都の冬といったら蕪蒸しってくらいで、前菜にも何種類かのかぶが、、、。
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白菜のカルボナーラ。
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プティトマトの上に乗っているおこげがユニーク。
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ドルチ。
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でもなんとっても一番美味しいのはタマネギを練り込んだフォッカチャ。
てなわけで、続きはまた。
posted by 新策論 at 22:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする