2008年03月21日

さよならサイモン

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先日、恵比寿の某バーにて隣り合わせた初対面の人としばし音楽談義で盛り上がった。
その人は、僕とは約一回り近く若い世代なのだが、八十年代に活躍したイギリスのバンド「ペンギンカフェオーケストラ」のファンのようで近頃出たというCDの話などをした。
 この「ペンギンカフェオーケストラhttp://jp.youtube.com/watch?v=4Uimr5SWBHk」という僕にとってはとても懐かしい名前を聞いた瞬間、、頭の中に二十代の前半を過ごした国立の記憶が蘇った。
 しかし、そのあと「ペンギンカフェオーケストラ」のリーダーであるサイモ・ジェフスがすでに他界した事(しかも十年も前に)を聞かされた時は、一瞬耳を疑った。
 日本のミュージシャンの死亡した情報はなにげなく耳に入って来るものだが、イギリスの事情なのでサイモンがこの世からいなくなったのを今まで知らなかったのだ。
  あの頃、国立にペンギンカフェという同名のカフェがあり、僕はそこの常連だった。時はまさにニューウェイブの全盛期。あまり商売上手とは言えない店主は気の合う客があつまると、店の看板をしまって閉店を装い、空が青くなるまで、レコードをかけて盛り上がったものだった。店の人も客も皆二十代で、早い話気楽な身分だったのだ。
そんなある日イギリスから本家本元のペンギンカフェ・オーケストラが来日した。そして、そのリーダーであるサイモ・ジェフスが何故か国立とペンギンカフェを気に入ってしまい、公演が終わってからも暫く居着いてしまったのだ。
要するに、閉店を装い空が青くなるまで飲み明かす仲間にサイモン・ジェフスが加わってしまったというわけだ、、、。
上の画像はその時の(今となっては形見となってしまった)サイモンのサイン。 僕がアレックス・キャッツの画集を持ってて、「この絵のモデル、サイモンにソックリ!記念にサインして」と頼んだら、喜んでサインしてくれた。
 長身で穏やかで、若いのにどこか老成したような感じの人だった。
せっかく日本に居るんなら、サカモトみたいな人とセッションとか仕事をすれば良いのに、という周囲の言葉に対してのサイモンの返答が今でも忘れられない。
 サイモン曰く、「日本の音楽スタジオは好きになれない、何故なら周囲が壁で窓が無いでしょ、僕はウインドウ(窓)があってウインドウ(風)が入って来ないと駄目なんだよ、、、」
 同じような台詞をたしか「羊達の沈黙の中」で投獄されたレクターが言っていた。
コンクリートの建物の中でのエアコンから出る空気にどこか息苦しさを感じている現代。
今こそ、「ペンギンカフェオーケストラhttp://www.hmv.co.jp/news/article/706080084」の音に耳を傾けて欲しい。
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2006年05月23日

シュワルツさん

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ヘンリック・シュワルツの音楽に初めて出会ったのは、このサイトのCDのところで紹介している長谷川賢司君が MIXCDのラフを僕の仕事場でかけた時でした。その中にシカゴと言う曲がセレクトされていて、聴いた瞬間に気に入りました。テクノと言うよりディープ・ハウスよりの奇麗なものが多く、それ以来新譜は殆ど聴いています。また、ヘンリック・シュワルツのライブ・パフォーマンスもユニークです。音楽の出前と言えばその昔は、いわゆるバンドというものが主流でギターやドラム持参でしたが、やがてレコード・バッグを担いでの DJというスタイルに替わりました、それがヘンリック・シュワルツのライブはラップトップ、つまりノート型パソコンに音源を詰めたものを持って来て、ステージの上で開いて左手でマウスを操作しながら、右手でミキサーを操作するスタイルなのです。アナログに比べて音が悪いんじゃないかと思われるかも知れませんが、僕が二度聴いたかぎりではそんな
事全然なく、かなりパワフルでクリアなものでした。また、このスタイルなら空港で荷物の重量超過料金を取られる心配もありません。一つのノート・パソコンで機内でメール、ホテルの予約、とライブまで全部可能という、まさに音楽出前進化論というかんじであります。



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2006年05月19日

クラフト・ワークさん

 僕がドイツという国に初めて興味を抱いたのは、今から30年ほど前、クラフト・ワークの「トランス・ヨーロッパ・エクスプレス」というレコードを
手にした時からです。音を聴く以前に、まづジャケに写っている彼等の風貌に惹かれました。当時ポピュラ-ミュージックと言えば「ホテル・カリフォルニア」みたいな時代で、裾の広がったジーンズで髪を振り乱して、ロックしていました。そこに、突如、背広にネクタイ、髪七三分けの大学教授かエンジニアみたいなグループが登場した訳ですから、衝撃的でした。
 そして、音楽といえば「ショウウインドウを突き破って、夜の街にナイト・クラビングしに繰り出すマネキン」の歌だったりして、その、ちょと不気味なメロディーを聴いた時、頭の中では、ポール・デルボーが描くヨーロッパの深夜の街角に、月に照らされたマネキン達が影を引きずりながら歩いていく映像が浮かびまあした。そして、次に「マン・マシーン」というロボットなんかの歌を歌ったアルバムが出て、その後の「コンピューター・ワールド」というアルバムでは「電卓」という日本語の歌まで登場しました。そして、その頃、初の日本公演が開催されたのですが、幕が上がると四人の彼等のマネキンが演奏していて、後から本物のクラフト・ワークが登場して計8人になるという秀逸な演出で、会場を湧かせました。あれから、早四分の一世紀が過ぎ、一時テクノと言えばデトロイトとかロンドンに話題を奪われがちでしたが、ここ数年、御本家のドイツが盛り上がっています。という事で来週は今のベルリンを代表する音楽家、クラフト・ワークチルドレン?の世代のヘンリック・シュワルツさんの記事を掲載します。







posted by 新策論 at 11:22| Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする