2011年12月15日

賀茂川

 両親が健在だった頃は五月の連休には必ず静岡に帰省した。しらすと桜海老の新鮮な季節で、とりわけ生しらすは東京ではなかなかありつけないしろもので、生しらすをいただく時はなぜかサントリーの角壜の水割りをのんだ。
 普段ウイスキーの水割を飲む事は全くないのだが、ある時静岡の事を思い出して東京でも水割を飲んでみた。しかし、これが全然美味しくない。何故か静岡の時と違う。
 しばし考えたが、答えは簡単だった。
つまり水割りというものは三割くらいがお酒で七割くらいは水と氷なのだ。お酒は同じなんだけど東京と静岡では水が違うという事なのだ。
子供の頃はあれが日常なので気がつかなかったけど、故郷は水が旨いのだ。
近年磯自慢を始めとする人気の日本酒があの辺りで作られているが、あれは大井川の豊かな水があっての事とどこかで読んだ。
 考えてみれば、我々が口にするものの殆ど、ご飯もお茶とかコーヒーも、煮物にしても水無しでは始まらない。 水の善し悪しでかなりの部分が決定してしまうのだ。
近年そんなテーマで作られた映画に「マザーウォーター」って映画があった。京都を舞台に豆腐屋とか喫茶店
水割りしか出さないバーとか銭湯なんかが登場する地味な映画だが、生活の基盤に水があるという事を控えめに主張していた。
 
さて、何故その映画の事を思い出したかというと、上賀茂神社から賀茂川に出て四条方面に向かって川原を歩き出した時、どっかで見た風景に出くわした。
賀茂川1.jpg
そうか、ここがあの映画のロケ地だったんだ。
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先斗町の辺りの鴨川は何度も見た事はあるが、この辺は建物も控えめで川原の木々が水面に写ってほんときれいだ。
賀茂川5.jpg
川幅も広く開放感があってここでジョギングしている京都市民も、思う存分走り回れる犬もほんと幸せそうだ。
賀茂川6.jpg
この辺なんかiPodでBGM用意して散歩したらほんまセーヌ川でっせ。
川は土手をコンクリートで塗り固めたら川でなく側溝になる。東京の目黒川なんかもコンクリをはがして元の姿に戻してやれば人も魚も川も喜ぶだろう。
遠い記憶の中の東京は、六十年代の初頭の三軒茶屋の親戚の家の付近の景色だ。
今のキャロットタワーの近くのなんだけど、家の前に北沢の小川が流れていて小さな橋を渡って玄関に入った。
それがいつの間にか生活排水で汚れてドブになり、蓋がされ暗渠となった。小川がコンクリートの棺桶に入れられたのだ。もはや東京はバブルの塔や不格好なテレビ塔を建てても魅力的な町になる事はありえない。
賀茂川7.jpg
韓国のソウルで高速道路を壊して、50年ぶりに河川を復活させた話は有名だが。
21世紀は後ろに向かって進む時代なのだ。
「上京する」という言葉の意味が「東京に行く事でなく、京都に行く事」に、いつかそんな日が来るような気がする。
posted by 新策論 at 11:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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